地理の扉 地理資料集
日本などの先進国と異なり、固定電話が普及する前に携帯電話(移動電話)の時代が到来し携帯電話の契約数が急増している。「携帯送金」という簡便な送金ツール(出稼ぎ先の労働者が地元の家族に仕送りをするなどに利用される)の登場や、情報格差(デジタルデバイド)などの是正など、携帯電話の普及による利点は多い。なお、先進国でもお国柄で固定電話が普及しにくかった地域もある。
移動電話は端末まで有線回線を敷設する必要がなく、基地局があれば良いので、インフラ投資を低く抑えられる。また、携帯電話に搭載されているプリペイド機能を用いることで、社会的信用が低く口座を開設できない貧農でも電子決済ができる。
従来の「周遊型」と異なり、地域固有の資源を新たに活用し、体験型・交流型の要素を取り入れた新しい形態のツーリズムを「ニューツーリズム」と呼ぶ。これにはメディカル(ヘルス)・ツーリズムやエコ・ツーリズム、産業観光などが含まれる。これらの場合ツーリズムという言葉の含む意味は広く、いわゆる観光にとどまらず「非日常」程度のものも含む。
1970年代のコスタリカが発祥とされるツーリズムの形態で、地域の自然環境や生活文化と共存しながら触れ合い、学ぶものである。自然・文化などの環境を保全しながら、地域の活性化にも取り組む旅行のありかた。「バスツアー」のようなマス・ツーリズムと対比される。
エコ・ツーリズムには世界ジオパークを中心とした地誌・地質をめぐる「ジオ・ツーリズム」やヨーロッパ発祥の「アグリ・ツーリズム(グリーン・ツーリズムもしくはルーラル・ツーリズムとも)」も含まれる。
緑豊かな農村や山村、漁村で地域の文化・自然・人々との触れ合いや交流を楽しむ旅行のありかた。
日本人の海外旅行者数は1970年代ごろから増加し始め、1980年代後半から1990年代末にかけて急速に増加し180万人に至り、以降はほぼ横ばいに推移している。一方訪日外国人数は2000年代中頃まで緩やかに増加し続け80万人に達したが、2011年に若干減少して以降は2012年以降爆発的に増加しており、2015年には200万人近くに及んでいる。
注目すべき日本や世界の動向は、1964年の日本の海外観光渡航自由化、1970年のジャンボジェット太平洋航路初就航、1973年・1979年の二度にわたるオイルショック、1979年の成田空港開港、1985年のプラザ合意からの1986年〜1991年のバブル景気、1991年の湾岸戦争勃発、1994年の関西国際空港開港、2001年のアメリカ同時多発テロ、2002年冬から2003年春のアジアにおけるSARS流行、2003年のイラク戦争などである。
近世(安土桃山時代〜江戸時代)日本では神社参詣や湯治を名目にした旅行が見られた。近代化に伴い旅行は大衆化し、戦後の日本では鉄道や高速道路網の整備で国内のより遠くにより早く行くことができるようになった。また、当時の日本では巡回・訪問型の団体旅行が中心だった。現代の日本では、旅行の単位が友人や家族にまで小さくなり、モータリゼーションによる日帰り客が増加傾向にある。そのため、従来型の宿泊施設では閉業したり営業形態の変更を余儀なくされているところもある。こうした大型ホテルなどの衰退は地方での失業や人口流出を招く恐れもある。そのように旧来的な観光施設が国内観光客に不人気となった理由には、海外や国内の観光形態の多様化も挙げられる。
1970年代以降の日本人の所得水準向上、1985年のプラザ合意による円高とバブル景気の始まり、1987年の週休二日制の導入によって海外旅行ブームが到来し、1980年代後半の安価に導入できる小型の双発ジェット機ブームと1990年代後半以降の新規航空会社の相次ぐ参入がそれを支えた。しかし2000年代初頭には頭打ちとなり、2008年のリーマンショックによる世界同時不況、2011年の東日本大震災などの影響もあり現在は減少傾向にある。
一方、2010年代の円安とビザ発給条件の緩和などのインバウンド促進政策や主に東アジアや東南アジア系の人々に人気の格安航空会社(LCC)の拡大により訪日客は増加し、2015年には訪日客が出国日本人数を上回った。
日本では貨物に比べて旅客がさかん。日本でJRしか存在しない都道府県は宮崎県だけ(大分県にも一般的に想像される電車はJRしかないがケーブルカーが存在する)で、逆にJRが存在しないのは沖縄県だけである。
地下鉄は高コストのため大都市を中心に建設される。かつて大都市や地方の中心都市に多く見られた路面電車は自動車と競合するため、大都市では次々と廃止され、現在は地方都市を中心に残存している(東京都に残存する都電荒川線は専用軌道)。近年ではLRT化で再注目されている。
現代では自動車大国である日本でも戦前や1960年代〜1970年代において自動車は相当な高級品で、実際に県ごとの自動車保有台数も所得ベースとなっている。なお、いわゆる「クーラー」「自動車」「カラーテレビ」をあわせて3Cとするのが流行したのは高度経済成長期真っ只中の1960年代(昭和30年代)後半である。しかし日本の経済水準の向上とともに急速に自動車は普及し、1965年には全国でも約218万台しか自動車がなかったのが1988年には3000万台に達した。このような自動車の大衆化により国内の都道府県ごとの自動車保有台数も利便性ベースに変化し、公共交通機関が整備されている都心では、道路は混雑しているうえ自動車は本体や駐車場に維持費がかかるため、自動車を保有する人が少なくなる傾向にある。
【資料】都道府県ごとの自動車保有台数
1965年
1位愛知県(約15.7万台) 2位東京都(15.3万台) 3位京都府(12.7万台) 4位神奈川県(11.6万台) 5位大阪府(11.5万台)
1995年
1位群馬県(約149.4万台) 2位岐阜県 3位富山県 4位栃木県(144.1万台) … 44位京都府(85.5万台) 45位神奈川県 46位大阪府 47位東京都(61.1万台)
また、モータリゼーションは商店街の衰退に関連付けられる。郊外に建設された大型ショッピングセンターに家族で週末に出かけるライフスタイルが広まったためなどという説明がある。また、それ以前に商店街が立地するのは地域の中心であることが多く、必然的に店舗も道路も狭小になりやすく駐車場確保のハードルも高い。
チェーン店の進出などでどこも同じような風景になってしまっていることを指す造語として「ファスト風土」というものがある。(→ジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS))
大規模小売店舗法(大店法)にかわり大店立地法が2000年に施行された結果、従来の規制ベースの運用から調和による出店ベースの運用に行政が変化したため、街中の総合スーパーさえも閉店して郊外へ向かうという都市のスポンジ化が加速した。
スエズ運河地帯や紅海ではパレスチナとイスラエル間の紛争が激化し、武装勢力の動きが活発化していることで治安が悪化している。また、ロシアがウクライナに侵攻したことは国際的な通商関係に影響を与え、ウクライナからの輸出が一時的に不能になり世界的な小麦不足も取り沙汰された。東南アジアではチャイナプラスワンの動きからサプライチェーンの南下が見られている。パナマ運河では渇水によって船舶トン数の上限が厳しくなり、輸送に障害が生じている。
貨物輸送に用いられる規格化された金属製の大型容器。陸路や海路に関わらず使用することが可能で、荷役作業の効率化や海陸一貫の迅速な輸送が可能となる。海路では船舶(コンテナ船)が、陸路ではトレーラーや貨物列車が用いられる。
コンテナはそのほかにも汚損や盗難の防止、再利用可能なことによる廃棄物削減、縦積みが可能で省スペース化が図れる、大型倉庫を建設せずとも野外に保管できる、独自の梱包材が不要、などの利点がある。
一般に普及している交通手段としては最速。大型化が進んだこともあって航続距離が伸びたため、必要な給油回数が減少し所要時間が短縮された。航空機は地形の制約を受けにくいため、なるべく大圏航路をとることで燃費を抑え、より早く目的地に到着することができる。ただし、他国の領空を通過する場合友好国でも通航料が課されることが一般的。
1964年10月に東海道新幹線の東京↔︎新大阪間が開通したが、次に山陽新幹線の新大阪↔︎岡山間が1972年3月に開通するまでに7年以上を要した。1975年3月には山陽新幹線が博多まで延伸したが、次の東北新幹線の大宮↔︎盛岡間の開通にはまた時間を要し、1982年6月となった。同年11月には上越新幹線の大宮↔︎新潟間が開通し、1985年3月には東北新幹線が上野まで延伸した。少しあいて1991年6月には東北新幹線の上野↔︎東京間が開通し、東海道新幹線からの乗り継ぎが便利になった。
さらに空いて1997年10月に北陸新幹線の高崎↔︎長野間が開通し、2002年12月には東北新幹線が八戸まで延伸した。2004年3月には九州新幹線新八代↔︎鹿児島中央間が開通し、2010年12月には東北新幹線が新青森まで、2011年3月に九州新幹線が博多まで延伸した。2015年3月に北陸新幹線の長野↔︎上越妙高↔︎金沢間が開通し、翌年3月には北海道新幹線の新青森↔︎新函館北斗間が開業した。2022年9月には西九州新幹線の武雄温泉↔︎長崎間が、2024年3月には北陸新幹線の金沢↔︎敦賀間が延伸開業した。
なお、四国新幹線や成田新幹線など、ある程度の具体性を帯びつつも不況や社会情勢の変化で未成に終わった路線もある。また、戦前には弾丸列車という新線建設を伴う高速列車の計画が存在し、実際にその規格で建設された鉄道トンネルも存在する。
2000年に中国から日本への団体旅行が解禁された(→アジア経済交流センター)。手元の資料には同時期に中国が日本を海外旅行認定国にしたという記載があったが(日本人が中国へ渡航する際に規制が緩和されたという意)、他の資料やインターネット上では確認できなかった。
定住でも無い限り、渡航は往復になる。つまり、単純な人の移動だけで見ると2点間の送り出し数と受け入れ数はほぼ同じになっても違和感はない。日本と中国の渡航ではビジネス関係者は視察や商談、私用で渡航するものは観光や親族訪問を目的とする事が多い。背景には中国政府の対外開放政策による日本企業の直接投資の増加や経済成長による生活水準の向上が挙げられ、さらに需要増に伴うコスト低下で渡航はより容易になっている。
日本はアメリカ合衆国に対して輸出過剰であるためそのことは度々両国間の交渉で俎上に上げられたきたが、それ以外でも貿易摩擦の発生を避けるために日本側が輸出を自主規制しているケースがある。1957年の繊維、1969年の鉄鋼、1977年のカラーテレビ、1981年の自動車、1987年の工作機械などがその好例であり、日系メーカーの工場のアメリカへの進出・現地生産を促進していた。
各都市間の本社や支社などの階層的な相互関係を都市システムという。地方中枢都市(広域中心都市)や準地方中枢都市(高松や金沢など)はビジネス客の往来が多い。また、新幹線の「4時間の壁」と呼ばれるものが存在し、これを超えると飛行機を利用した方が良いとされる。ただし、東京から微妙な距離感である広島は空港が街の中心部から離れているためアクセスに時間がかかり、新幹線の方が利便性の高い可能性がある。飛行機は高速で迅速性が高いが、搭乗までの手続きに手間と時間がかかり、気象による欠航や遅延が生じやすいという欠点も抱えている。
国際分業の進展で、海外との結節点である港の役割も大きくなっている。
国際便が発着する日本の地方空港は全部で18港あり、また、空港整備法に基づく国際空港であるのは「東京国際空港(羽田空港、1931年開港)」、「成田国際空港(旧称新東京国際空港、1978年開港)」「大阪国際空港(伊丹空港、1939年開港)」、「関西国際空港(1994年開港)」、「中部国際空港(セントレア、2005年開港)」である。羽田は成田の代替を企図して建築された空港であるが、それでも成田の取扱量は多く、2007年には日本国内の半分近くのシェアを占めていた。以降は分散傾向が強まっている。
成田空港は早朝や深夜の運行と相性が悪い。
【資料】物取扱量ランキング(空:2023年 海:2022年)
空港 1位:香港 2位:メンフィス 3位:上海・浦東 4位:アンカレッジ 5位:仁川
海港 1位:上海 2位:シンガポール 3位:寧波 4位:深圳 5位:青島(中国が続く)10位:ロッテルダム 11位:ドバイ 12位:アントワープ 13位:ポートケラン
※メンフィスはアメリカ合衆国、ポートケラン(ポートクラン)はマレーシア
【資料】航空路線旅客取扱量ランキング(2023年)
全 体 1位:アトランタ 2位:ドバイ 3位:タラス 4位:ヒースロー 5位:羽田 6位:デンバー 7位:イスタンブール 8位:ロサンゼルス 9位:シカゴ 10位:デリー
国際線 1位:ドバイ 2位:ヒースロー 3位:アムステルダム 4位:パリ 5位:チャンギ 6位:イスタンブール 7位:仁川 8位:フランクフルト 9位:ドーハ 10位:マドリード
ドバイ
アブダビ首長国と比べ石油をあまり産出しないうえ、石油依存の経済構造からの脱却を目指しているため、国際ハブ空港やアジアの金融センターとしての地位を確立し、観光開発や自由貿易地区の設置による製造業の育成も進めている。
香港:海港としては深圳が近いこともあり、小型・軽量・高付加価値の半導体など電子部品や精密機械、貴金属、生鮮食品や花卉などの空路での輸送が盛んである。
フランクフルト
地域(この場合はEU圏)の玄関口となるゲートウェイ空港が立地し、経済水準が高く人の移動も盛ん。